日にちが空きましたが沖縄・那覇の続きです
2日目、朝ご飯の後、海軍壕公園へと向かいました
県庁前からバスにて出発
那覇市役所の建物
まるで白亜の城といった建物にはベランダに緑の植物が置かれている
内部には入っていないが、中も植物を配したデザインになっているそうな…
海軍壕公園
宇栄原団地前にて下車、そこからは徒歩(と言っても数分)
少し歩くと海軍壕公園の案内の看板がありました
案内に沿って壕入口へ
う・・・階段嫌い…(´・ω・`;)
階段を登ると戦没者の碑
歴史で見た事のある部隊名がたくさんある・・・
碑の横の建物にチケット売り場と入口があります
壕へ入る前に資料館へ
入口と出口が違うので、後からでは資料館へ入れなくなってしまいます
入口横に戦艦大和の模型
資料館は写真や当時の新聞記事、その他は今に残された遺物など
資料館を見学してから壕へ
入ってすぐの所にはたくさんの千羽鶴、そして下へと続く階段
迷路のように道が続きます
今は整備されて見学に耐える仕様になっているものの、壁の手掘りの跡が生々しいです
こちらの壕は司令部が置かれていたとのことですので、司令官(上官)の部屋は手掘りの部分とは違い、漆喰で固められています
何も施していない部分と漆喰が塗られている部分の境目
幾つかある部屋の中には手榴弾で自決した時の跡が残っていたりする
司令官室は他の部屋よりは(多少)広い
壁に書かれてあるのは、大田司令官の愛唱歌
『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』
大田實海軍少将
旧海軍司令部壕の司令官であった大田實少将はじめ幹部6名は、米軍の猛攻に昭和20年6月13日夜半、拳銃自決を遂げました。大田少将が海軍次官に宛てた、沖縄県民の献身的作戦協力について訴えた電報が残っています。
下士官の部屋や医務室になると、もはや部屋というよりはただの穴倉
壕の中は(11月でしたが)涼しいような蒸し暑いような、長くは居られないような空気
壕の見学には修学旅行などの団体や外国人などもいました
内部では延々と英語での説明が流れていました
外に出ると最初に階段を登る前の売店のあった場所
関連商品が売られてましたが、あまり欲しいものはありませんでした
横須賀の戦艦三笠の所の方が充実してたかなあ…
壕見学をして国際通りの方へと戻りました