OSO♪’s TRAVELOG

国内、海外の旅行記録です

南風原原文化センター、陸軍病院南風原壕群[2020年 沖縄・那覇③]

2日目
オールフリーはこの1日だけとなります

ホテルでの朝食ビュッフェを済ませ、県庁前からバスに乗る予定です

バス停近くにある県議会建物

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公共の建物にもシーサー君が入口に鎮座しておりますね

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そしてその隣にあるのは一見役所とは思えない洒落た外観の那覇市役所

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市役所の隣には愛のシーサー公園なるものもあります

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バス停は市役所前にあります
ロコアナハ(ホテル)を利用するのもバス停に近いという理由もあります
[ホテルの記事はこちら]

travelog-oso.hatenablog.com

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バスで30分弱でしたか(居眠りしていたのでハッキリとは分からない・・・)目的地の福祉センター入口バス停に到着
そこから徒歩で5分も掛からない場所に南風原町南風原原文化センターがあります

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入口の消毒横にはマスク姿のシーサー君

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最初はこちらの文化センターだけを見学する予定でしたが、受付で屋外の壕跡の見学はどうするか尋ねられました
予約はしてなかったのですが、ちょうど30分後くらいに1組の予約見学者がいるので一緒にどうか?という申し出でした
せっかくですので、OKして屋外の壕跡も見学することに

まずはセンター内見学から
入場料は300円/一人(屋外見学は別にまた300円)

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見学コースは沖縄戦から始まり、現代へと続く感じになっています

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飯上げの道と呼ばれる山道を10kg以上の桶を担いで登る女学生の姿から始まります
女学生が運ぶ先は陸軍の病院(という名の野戦病院というか洞穴と言うか…)

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画像が暗いですが、敢えて露出を上げずに目で見た感じで載せることにしました

作り物の人形なのは分かっているのですが、この後に続くベッドに横たわる負傷者の姿にドキっとしてしまいました

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負傷者の枕元におにぎりが置かれてるのは、後の方にあるインタビューのビデオにあるのですがおにぎりのエピソードが出てくる物でしょう
最初はテニスボールくらいの大きさだったものが、段々と食料が乏しくなり最後の方にはピンポン玉ほどの大きさになってしまう・・・という話
ここの病院の場所もいよいよ危なくなった時に動けない負傷者たちは置き去りにして南へと移動することになります
その時にはおにぎり、飲み水、そして自決用の青酸カリを渡されたということです
青酸カリについては珍しく牛乳が配布された際に混ぜられていたこともあったという話がありました

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奥へと進むと明るくなってちょっとホッとしました
この辺りは戦時中の様子、遺物、生存者によるインタビュー動画など

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↓弾の跡が残るこの壁は実物

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米軍による収容所の様子など

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この後は段々と現代へと続きます
沖縄の文化的な展示などもあります

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さて、屋外壕跡見学の時間となりましたので受付へと戻ります
予約していた1組(2人)と合流してガイドに連れられて外へ

文化センターは小高い丘(と言うか小さい山)にあるのですが、その山全体が20数個から成る陸軍病院跡(壕)です

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以前は壕内が見られた所も今では入口が崩れてしまい殆ど見られなくなってしまっています
また、本来見学が出来ていた壕もコロナ禍により(内部が狭いので)見学が中止されています(残念・・・)

<飯上げの道>
今は階段とスロープになっていますが結構長い道でしんどかったです
当時は舗装されていないのでもっと大変な道だったでしょう

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南風原陸軍病院壕跡の碑>

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碑の左後ろの土が盛り上がったあたりが入口だったようです
今は埋もれてしまっています

途中、当時の兵隊さんの遺骨が発見された現場や戦時中の見張り台、麓との連絡道、埋もれてしまった壕跡などがあります

あまり写真をたくさん撮れなかったです(;´・ω・)
同行の1組というのがちょっと変わった人(というか、かなり変な人)だったのもあって、目の前を塞がれたりシャッターチャンスを潰されたり、見ようとしてるのに場所を交代してくれずに独占されてしまったからです(--〆)

 

病院跡の20号というところへ移動

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ここは本来は内部見学できるようなのですが、現在はコロナのために見学が中止されています

入口に置かれている残された医薬品や壕を掘るためのツルハシは見られます

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戦後になり残された医薬品が発見された時に、空腹の子供などが誤飲して死亡してしまう事故もあったそうです
先にも述べた青酸カリが混ぜられていたらしいです
投薬の際に青酸カリを混入した薬で負傷者に与えていたのだろうと言われています

中には入れませんでしたがドアを開けて少しだけ見せてもらいました

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20号の外にある鎮魂と平和の鐘
(祈りの時の手を合わせる形と平和の象徴である鳩の翼の形を合わせたデザイン)

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鐘の向こう側は憲法9条の碑


この辺りにくるともう1組の人たちの変っぷりがだいぶエスカレートしてましてね…
普段はいい加減な性格性質の自分たちですが、こういう場所では割と真面目に見学するんですけど、もはやシラケてしまってましたよ

やたらと臭う!とか見える見える!とか煩いんだもん(。-`ω-)
自分たちだけで言ってるだけなら許せたんだけど、明らかにこちらに聞かせるためのボリュームで話す
「ほら、あそこで人が(穴に遺体を)投げ入れてる!」とかさ~

うざーーー

あいつ等オカシイ・・・

見えるなら見えるでこっちに振らずに静かに祈っとけ!って感じだよ

 

変な人たちのせいで見学が残念なものになってしまいましたが、コロナが収束して壕内を見学できるようになったら再訪したいな、と思ってます

 

 

 

帰り道で隣にあった公民館の前にあったシーサー君

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